高校で相談室を運営しているときに、一番多かったのが不登校の相談です。
病気でもないのに生徒の欠席が重なってくると、「これは不登校ではないか?」と、周囲の大人たち、保護者や担任の先生は心配しだします。しばらく様子を見ていてもいっこうによくなる気配がないと、担任の先生から、「少し話しをしてもらえないか」といって相談室にその生徒がつれてこられる、というのがだいたいの流れです。
生徒が不登校になる理由は本当に様々です。でも、「どうしてこうなったのか、自分にもよくわからない」とういうケースもよく見てきました。
ご近所に友人に不登校のお子さんがいたり、ご自分のお子さんがまさに不登校だという方もたくさんいらっしゃると思います。また、不登校になっているという話を聞いても、以前ほど深刻な話だと受け取る方も少なくなってきました。
そういう意味で、数の面でも質の面でも現在は「不登校は珍しい」ことではなくなったと感じます。
<目次>
不登校の定義
不登校「問題」の本質
不登校をとらえる視点
不登校をめぐり考えること
終わりに
1.不登校の定義
そもそも不登校って何なんでしょうか。「不登校の定義」として、文部科学省のホームページからよく引用されているのが以下の文章です。
文部科学省の調査では、「不登校児童生徒」とは「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間 30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」と定義しています。
(不登校の現状に対する認識|文部科学省)
しかし、これをもとにして不登校を考えるとおかしなことが起こります。学校に行ったり行かなかったりする状況であっても、年間の欠席が30日未満であったり、遅刻・早退をくりかえしている場合は、不登校とは定義されないのです。
それに、「病気を除く」とあるので、対人関係に不安を抱えてメンタルクリニックを受診して「不安障害」という病名が付くと、不登校の定義から外れてしまうのも変な話です。
どうしてこんなことが起こるかというと、この定義は、全国の小中高校に文部科学省が不登校の調査をする際に、「この定義にあてはまる生徒がいたら人数を報告してください」といって調査するための定義だからです。
したがってこの定義を見ても、不登校を考えたり解決しようとする役には立たないと思います。
2.不登校「問題」の本質
そもそも不登校は「問題」なのでしょうか?
最初のころ、今の不登校は「学校恐怖症(schoolphobia:スクールフォビア)といわれていました。対人恐怖症のようなこころの病気の一種だと認識されていたからです。それでは実態に合わないということで、しばらくすると「登校拒否」という呼び名が一般的になってきました。これは「病気とは違う」という認識が広がったからですが、この名称も「自分から進んで登校しない」というニュアンスに違和感がもたれて、今の「不登校」というニュートラルな言葉に落ち着いた経緯があります。
「不登校」という言葉は、「登校しない」という状態を示しているだけで、そこに何の判断が加わっていません。「いい」や「わるい」はそこにはないのです。不登校は、言ってみればたんなる「現象」です。子供の学力保障や将来の進路、あるいは世間体を考えれば不登校はたしかに「問題」ですが、当事者の抱える悩みから見た不登校の「問題」の本質はそこではないような気がします。
それでは、不登校「問題」の本質はなんなのでしょうか?
そこで、もう一度学校の役割を考えてみましょう。
子どもにとって学校は、勉強の場であるとともに部活を行う場でもあり、また、同年代の友達と関わる場であり集団生活を体験する場であります。つまり学校は、何か特定の目的(例えば勉強)を持って集まっている場というよりも、子どもが自宅を出て一日の大半を過ごす「生活の場」でもあるというほうが正確だろうと思います。良くも悪くも、子どもたちはそこで成長していくのです。
不登校になって学校から離れることは、そうした「生活の場」から切り離されることです。「いじめが起きたときに学校は真剣に取り組んでくれない」とか、「学校では今の時代に合った知識を身に着けることができない」とか、学校に行くことそのものに懐疑的な保護者の方もいらっしゃいますが、今現在、こうしたトータルとしても「生活の場」を提供できるところは、いわゆる「学校」以外ではごく少ないのが現状です。
不登校になると、「無理に学校に行く必要はないですよ」といってくれる人もいますが、当事者である子供も保護者も、「学校に行かなくなったら生活の場が失われる」ということに漠然と気づいています。
だから不登校になると保護者も当人も、このままでは社会から切り離されてしまう、それは何としても阻止したい、しかし学校には行きそうもない、という堂々巡りで困り果ててしまうのです。こういう「困っている」人がいて、解決の道筋が見えないことが不登校問題の本質なのだと考えています。
ここで大切なのは「困った」感です。学校に行けなく子供をどうしたらよいのか「困っている」保護者、学校に行かなくてはいけないと思うのにどうしてもいけないで「困っている」当事者、そんな保護者や当事者の子供にどう接し解決策を示していいか「困っている」学校の先生。
そういう、学校に行けない生徒を取り巻く「困った」状況を、全体として「不登校問題」と考えて、適切な支援を行うことが大切だとわたしは考えています。
3.不登校をとらえる視点
不登校を考えるときに、保護者は学校に何か問題があるのではないかと考えがちです。それに対し学校は、本人や保護者の育て方に関係があるのでは考えがちだといえます。本来、不登校が起こったときには学校と保護者が協力して事態に当たるべきですが,、それはなかなか簡単なことではありません。
そんな時に大切なのは、客観的に不登校の原因と対応策を考えるための視点を複数持つことです。次に視点となる代表的なものをいくつか挙げてみます。
1.何らかの病気が背景にあるのではないか?
不登校の背景に何らかの病気がある場合があります。学校に行きたい気持ちがあっても、こころの病気(適応障害、不安障害、気分障害など)や、からだの病気(過敏性腸症候群、起立性調節障害、過活動性膀胱など)があると不登校になる場合があります。そのほかにも様々な病気が不登校の原因になっている可能性があります。こういった場合を考え、ケースによっては医師に相談するが必要もあります。
2.発達障害の有無は?
近年、発達障害に対する理解を支援が進んできました。アスペルガースペクトラム、広汎性発達障害、注意欠陥/多動性障害(AD/HD) 、学習障害、軽度の精神遅滞などです。
これまでは見過ごされてきた障害にきちんと目が向けられることで、不登校にもこうした障害がもともとあって、2次的な障害として不登校が起きているというという認識も持たれるようになりました。発達障害の有無も考える必要があります。
3.不登校生徒を巡る環境を考える
不登校生徒を巡る環境にはさまざまなものがあります。それらが問題を引き起こすきっかけになることがあります。
学校ならいじめや教員の不適切な指導なども生徒を取り巻く環境の問題ですし、家庭なら経済的困窮や夫婦の不仲などもそうです。都市部であったり農村部であったりする周囲の町の状況もそうですし、交友関係もまたそうです。進級や転校なども、生徒をとりまく環境の問題です。また今なら、コロナウイルス感染症に神経をとがらせている社会全般の状況なども不登校に関係する可能性があります。
生徒を取り巻く環境は刻々と変化しますし、影響も大きいものです。したがって不登校が起こると、まずこの「環境」に注目が集まります。もちろん、生徒におこった「環境の変化」が直接の引き金になって不登校が起こることは多いので、ここに注目することは大切ですが、ここだけに注目しないようにしないといけません。
4.不登校児の性格タイプと年齢
不登校が、もともと持っている性格に起因する場合があります。不登校になりやすいのは、次のような性格を持つ子どもです。
a.プライドが高く弱音を吐けない「過剰適応型」の子供
b.環境の変化に弱く少しの環境の変化でも不安感を持ちやすい「敏感型」の子供
c.一見「敏感型」に見えるが、内面に怒りや不満を抱える「潜在的攻撃型」の子ども
d.衝動性が高く、対人関係が不安定になりやすい「不安定型」の子ども
いじめが起きた時、「本人の性格に問題がある」は、少なくとも学校では絶対の「禁忌」です。しかし、不登校になった場合、本人の性格を考えることは「なくてはならない視点」です。それによって対応が変わるからです。
また、発達段階や年齢も性格タイプと同様に考慮しなくてはなりません。当然ですが、幼稚園児が登園できないのと、高校生が登校できないのでは質が異なります。幼稚園児なら、親からの分離不安をまずは考えるでしょうが、高校生ならそこはまず考慮しません。ところが、高校生でも分離不安が再燃したと考えるしかないケースを見たことがあります。発達段階には、一人の人の中にもばらつきがあるのでよく見る必要があります。
なお、性格は持って生まれた資質とその後の経験から形成されますが、その分類の仕方や説明は人によってさまざまです。上記4タイプも一つの視点として見ていただければと思います。
5.不登校の時間的経過
不登校が始まってから登校が再開されるまでには、時間的経過が見られます。次にあげます。
a.症状がないかあってもあまりはっきりしない「不登校準備段階期」
b.激しい葛藤を伴ない不安定さが目立つ「不登校開始期」
c.行動の退行や社会的な接触が極端に少なくなる「ひきこもり期」
d.登校が開始される準備段階としての「準備段階期」
不登校のどの段階にいるかで対応は変わります。「不登校準備段階」なら、しばらく様子を見ながら少しずつ登校を促していくのもよいですが、「ひきこもり期」になったら全力で何とかしないといけません。また、この時期には家庭内暴力などを伴うこともあるので、不登校を家族で解決しようとせず第三者の介入を試みる必要もあります。
これらの視点を組み合わせて、不登校の全体を考えてみてください。もう一度言いますが、不登校の原因は一つではないことがほとんです。したがって、不登校が起こった場合、複数の要因があることを前提に問題に取り組まなくてはいけません。
また、原因が分かったからといってすぐに問題が解決するわけではありません。たとえば、いじめがきっかけとなって不登校が始まったケースでは、いじめた生徒を指導しても、多くの場合「それだけ」ではその生徒は学校に帰ってきません。
もちろん、いじめた生徒をきちんと指導することは絶対に必要です。しかし、不登校を考える場合、それだけでなく複数の視点を持つことが必要です。そうした視点を持つことで、問題を客観視できて感情的にならずに済んだり、また、適切な支援を受けることもできることで問題の解決を早めることもできます。
4.不登校をめぐり考えること
いったん不登校になった生徒が、もう一度学校に通えるようになったケースを見ていて感じるのは、「困った」状況をなんとかしようとして誰かが動き出した時、解決の糸口が見えてくるということです。
たとえば、親が子どもを心療内科に連れて行って、薬を飲みだしたら学校に行けるようになったというケースです。そういうケースだと、「薬を飲んだから学校に行けるようになった」と考えるかもしれませんが、たぶんそれは間違いです。もちろん薬の力もあるかもしれませんが、親が本気で心配し、けっこう敷居の高い心療内科に連れて行ったという行動が登校を促した、と考える方が本質のような気がします。今でも、心療内科や精神科の受診は勇気がいります。そこに連れて行ってでも、子どもを何とかしたいという気持ちが通じたという感じです。
ただし、これも推測です。不登校は、そのきっかけもわかりずらいですが、解決した時もまたわかりずらい。なんとなく始まりなんとなく解決するのが不登校、といえるかもしれません。ただし、本人を含めて誰かが「何とかしよう」という意思があったときだけ不登校は解決すると考えています。
次に、不登校を考える上でヒントになりそうなことをランダムに書いておきます。
1.不登校になったときの最終目標は登校ではないですが、とりあえず登校することは大切です。「テストだけ受けに行く」でも「保健室登校をする」でもかまいません。少しでも、学校に行ける機会を作るようにしましょう。
2.不登校児は休みたくて休んでいるのではありません。行きたいけど行けないという葛藤を理解する必要があります。
3.いじめや教員の不適切な指導がある場合、その解決を先行させましょう。
4.「どうして学校に行かないのか?」と強く聞くことはやめましょう。3のようなケースは別ですが、そもそも本人にもそれが分からない場合、「学校に行けないことを責めらている」と感じさせて心を閉ざしてしまいます。
5.「原因が解決したのだから行けるはず」は間違いです。頭でわかっていても実行できないのが人間です。「原因が解決したのに行けない自分」を責めて、事態を悪化させることになりかねません。
6.不登校と昼夜逆転はセットになっていることが多いです。昼夜逆転したので不登校になっているのか、不登校の無為から昼夜逆転しているのか、よく見極めてください。無為からゲームやYouTubeに走っている場合、それを一方的に禁止するのはよくありません。「暇つぶしの時間」を、一緒に買い物に行ったり、マンガを読んだりしてなるべく共有できるように工夫することが大切です。
7.不登校になったとき、いちりつに「登校刺激は与えない」は間違いです。不登校児をよく観察し、適切な時期に適切な介入を行うことが大切です。腫れ物に触るような対応は、不登校を長引かせます。
8.「不登校から引きこもりには絶対にさせない」という覚悟を持ってください。学校の教員は生徒の生涯にかかわるわけではありません。しかし保護者は違います。こういうケースは少なくないので、保護者は、学校や病院、カウンセラー等何でも使えるものは使い、なるべく短期で解決できるよう頑張りましょう。
9.通信制の高校は「負け」でも「逃げ」でもありません。同様にフリースクールもそうです。「不登校」という状況が変えられるなら、こうした選択肢も考えてみましょう。
10.学校に行くよう説得し本人が納得したとしても、約束はしない方がいいでしょう。「明日は登校する」と約束しても、できなった場合、「約束を守れない人」になってしまいます。
11.不登校児は、登校すると周りからどんな目で見られるかを気にします。それが登校できない理由になっていることも多いですが、実は周りはそんなに関心を持っていません。久しぶりに登校すると、その日は注目されますがすぐに周りは慣れます。高校生くらいだと「どうしたん?」、「あれ、休んでたっけ」という軽い反応も多いものです。そう伝えましょう。
5.終わりに
不登校「問題」の当事者は、「本人」、「家族」、「先生」です。これらの人の「困った」を解決する必要があると先ほど書きました。
本人の努力だけ、あるいは家庭と学校の協力だけで本人の不登校が解決すれば、もちろんそれが一番かもしれません。しかし、ともすると学校と家庭は対立しがちですし、それでなくとも「当事者には全体像が見えづらい」ものです。
こういう時こそ、スクールカウンセラーなどの「第三者」の出番です。客観的に全体を見まわし、使える資源(リソース)は何かを考え、今、当事者は何をすべきかを具体的に考えることができるのは、当事者ではなく、スクールカウンセラーのような「第三者的立場」の人だからです。逆に言えば、そういう人をうまく活用することが、問題解決の早道だと考えます。
相談室にいた時も、不登校の相談があれば、もちろん本人や保護者の方との直接の「カウンセリング」を行って、問題がスムーズに解決するようにお手伝いもしました。
しかし、それと同じくらい大切にしていたのが、客観的に全体を見まわし、問題解決に使える資源(リソース)は何かを考え、今、当事者は何をすべきかを具体的にアドバイスをする「コンサルテーション」でした。
コンサルテーションは、不登校問題の解決に役立つものはないかを探し、少しでも可能性のあるものを当事者と結びつけて問題を解決していこうという姿勢で相談者とお話をします。そこがカウンセリングとの違いです。また、アドバイスも積極的に行います。
たとえば不登校が起こった場合、その生徒や保護者にかかわっているのがクラス担任の先生だけだとしたら、それは支援の仕方として間違っています。多様なリソースを探して、支援の輪を広げることが大切です。
学校の中には、そのほかにも、副担任や部活動の顧問、養護教諭、管理職、特別支援コーディネーターなどの様々な不登校にかかわることができる先生がいます。また、組織としては、学年会や職員会議、特別支援委員会や教育相談委員会、生徒指導部や保健部なども不登校にかかわることができます。
学校外のことを考えればもっと幅は広がります。スクールカウンセラーなどの心理職はもちろん、医療の手助けが必要なら心療内科や小児科の先生、あるいは家庭の状況によっては、社会福祉協議会や児童相談所の支援をあおがなければならないケースもあるかもしれません。
もっと本人に身近なところでは、友人、クラスメート、部活の先輩や後輩、アルバイト先の同僚、塾や小中学校時代の先生、祖父母や仲のいいとこなどの「人」もリソースになる可能性があります。また、。好きなアニメやマンガ、音楽やコンサート、趣味などの「もの」や「情報」もまたリソースとなりえます。
このように、「使える資源(リソース)」を探して、それらを活用できるように当事者に結び付けるように支援を行うのがコンサルテーションです。
不登校になっている生徒やその保護者、また、それにかかわる先生に対する支援として、個別にカウンセリングを行うことは大変意味のあることです。しかし、それと同じくらい、あるいはそれ以上にコンサルテーションは大切です。つまり、使えるリソースを使える形にするコンサルテーションと、個々人に行うカウンセリングは、不登校問題を解決するためのいわば「車の両輪」である、といえると思います。
しかし、不登校の問題が起きた時、こういった様々な支援をしてもらえたという当事者は少ないのが現状だと思います。それは上記のようなことを行うには、少なくても、カウンセリングとソーシャルワークの知識(や経験)に合わせて、教育現場の経験がないと難しいからです。
教員はカウンセリングやソーシャルワークの知識に乏しく、カウンセラーやソーシャルワーカーは学校の組織や教員の思考方法をあまり知らない。こういったすきまをうまく埋めながら、不登校で「困っている」関係者の支援が行えればとよいと考えています。
また、当院の場合、カウンセリングだけでなく、鍼灸やマッサージの施術が行えることも、問題の解決に少なからずお役に立てると思います。つまり、先ほどの言い方をすれば当院もリソースの一つになりうるということです。
不登校に巻き込まれると、関係者はいちように嵐の中に放り込まれたように、状況に翻弄され、その中で心身ともに疲れ、冷静さを失っていきます。子どもをめぐって、今まで問題がなかった夫婦の間に、亀裂が入ったケースも見てきました。
また、ストレスで眠れなくなったり、食欲がなくなったり、怒りっぽくなったなどの心因性の反応が出ることもあります。
そういう時には、話をちゃんと聞いて問題を整理してくれるカウンセラーが必要となるわけですが、同時に、身体が抱えているストレスも処理しなくては、心身ともに余裕を持って問題にあたることは出来ません。そういう時に、私のようなバックグラウンドを持つ鍼灸師がお役に立てることもあると思います。
また不登校が、過敏性腸症候群や起立性調節障害などの病気に起因する場合、直接身体にアプローチすることで解決を早めることができます。
ブログにも書きましたが、過敏性腸症候群や起立性調節障害のような「心身症(こころとからだの相関作用によって生まれる病気)」は、対処療法に強みを持つ西洋医学だけで治すことが難しいと思います。もちろん必要があれば、小児科や心療内科で診断・治療を受けていただきたいと思いますが、それに加えて、自律神経を整えたり不定愁訴の解消する強みを持つ、鍼灸やマッサージによる施術を組み合わせていただければ回復が早くなると思います。
体調が整えば、心も軽くなるのが心身症の特徴です。お子さんの体の悩みや進路の悩み、登校時の不安などの相談に乗りながら、鍼灸やマッサージの施術を行うことで体調を整え、なるべく早い再登校への道筋を探っていきたいと思います。
不登校には様々な原因があります。
お話を伺い、鍼治療とカウンセリングを組み合わせた治療計画を作成します。
まずはご相談ください。
高崎さと鍼灸院は、鍼灸とカウンセリングを併用することで、体と心に寄り添う施術を行なっています。ただ施術するだけではなく、東洋医学の豊富な知見を活かし、即効性よりも、患者様の「自然治癒力」の回復にこだわった治療をご提案します。色んな治療をしたが改善しなかった方、あまり薬に頼りたくないとお考えの方は、高崎さと鍼灸院までお気軽にご相談ください。
Σχόλια